マルクスによって指摘されたように、資本主義社会において最強の者は資本家である。
資本を多く持つものほどこの資本主義社会では、一般人と比較した場合、それは王のような暮らしぶりができる。
さて、ではそもそも資本とはなんであろうか?
資本とは、生産要素である。
資本とは、生産を生み出す要素である
資本とは生産するための一つの要素である。
つまり、資本からは生産が生み出されるのだ。
他の生産の要素は、土地と労働がある。
土地と労働は考えやすいだろう。
土地があれば、例えば建物を建築できる。
この建物があれば、パン屋を開くことができる。
こうして生産活動を行うことができる。
労働もわかりやすい生産要素である。
建物があるだけではパンは生産されない。
パンをつくるという労働があることによって、パンは生産される。
土地と労働はまさしく生産要素である。
これと同じようにお金がないと建築もできないし、パンを作るための材料も買うことはできない。
そもそも事業を始めるためには資本が必要になってくる。
この事業の元手となるお金を指して、資本ということもある。
資本は有形の場合もある
資本とは事業が始められるくらいの、ある一定のまとまったお金であることがわかった。
だが資本とはお金だけを指すのではない。
例えばパンを製造する機械や、店を開くための建造物も資本となる。
これらは生産を生み出すために、資本と考えられるわけである。
資本とは生産を生み出すための手段である
大事なのは資本ではなく生産である
資本とはあくまでも手段にすぎない。
それが価値があるのは、資本が生産を生み出すからである。
生産があるために我々の生活は豊かになるのである。
例えば美味しいパンを作れば人々に幸福感を与えるだろうし、
生きていくためのエネルギーを供給することとなる。
資本とは人間活動に必要十分な生産物を供給する不可欠な要素であるために、
重要なのである。
さて、ここまでは基本的な人間の経済活動である。
高度資本主義における資本とはまた少し違う
金融資産という魔術
お金が王となる世界
さて、ここまでみてきた資本とは、わりと日常的な活動から理解しやすい部分であった。
しかし我々が思う資本とは、それだけではないはずだ。
ウォール街やパソコンの前で数字を弄って小難しいことをしている人たちを思い浮かべるだろう。
つまり、資本とはもっと高度に発展してる、もう一つの側面がある。
それが現金からはじまる、株式や債券などの、金融資産である。
金融資産は主に金融市場で取引をされることとなる。
株式、債券、為替、投資信託、商品先物などが取引されている。
金融という、お金のためのお金という世界があり、
この世界こそが非常に儲かる市場となっているわけである。
資本とは物理的資本と金融資本とに別れている
さて、資本とは物理的に目に見えるものから、
お金からはじまる目に見えないものの2つに分かれている。
問題はこの目に見えない方こそが、よくわからない世界を作り出し、生産活動に多大な影響を与えているということである。
なぜ金融資本がこれほど力を持ったのか?
それは資本が生産を生み出すためである。
本来、資本が力を持てる理由は、この生産と密接に繋がっている。
つまり生産が王であり、資本は従者の関係であった。
しかし生産をするためには資本が必要であるため、
逆に資本が王のように振る舞う世界ができてしまったのである。
この逆説した論理が、現在の資本主義である。
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